陽聖館合氣道長崎道場
植芝盛平と合氣道について
合気道開祖 植芝盛平翁(1883~1969)
合氣道は植芝盛平翁(昭和44年4月26日86歳で入神)に依って創始されたものです。翁は、和歌山県田辺市に生れ、若い頃から日本古来の剣術、柔術、槍術、杖術等の各種の武道を修業し、その奥義を究め、更に進んで精神的にも、哲学、宗教等の門をくぐり、種々難業苦業を重ねた結果、現在の合氣道が生まれました。
翁は合氣道の精神について「合氣とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ、合氣とは自己に打ち克ち敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、而して武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である」と申しております。
砂泊諴秀と万生館合氣道について
砂泊諴秀(すなどまり かんしゅう(本名兼平)1923年-2010年11月13日)は、日本の合気道家。植芝盛平の高弟。
戦前から戦後にかけて合氣道創始者である植芝盛平翁の内弟子として修行した砂泊師範は昭和29年、熊本市において九州初の合氣道専門道場として合氣道万生館道場を開設。
熊本を中心に九州各地に合氣道の普及を図る。昭和44年創始者御逝去を機に組織を離れ、「万生館合氣道」として独立、本部を熊本市に置く。平成11年1月11日、万人を生かし万人が行うことで出来、さらに世界を平和にする武道として「合氣万生道」と改名する。平成20年1月11日、「万生館合氣道」と改名。熊本市に本部道場を置き、福岡、鹿児島、長崎、宮崎、と各地に合氣道を普及しその間の入門者約二万名以上を数え、三千数百名の有段者を出しております。長崎道場は2014年7月まで万生館合氣道長崎道場として活動しました。
長崎における合氣道と長崎道場の生い立ち
長崎の地に合氣道が紹介されたのは、昭和32年のことである。
当時奥村師範の指導を受けていたが、奥村氏が佐世保へ移られた後、来崎指導が困難となり、解散のやむなきに至った。その後、三菱重工の川向学・松尾英雄両氏を中心に合氣道同好会を結成し、数名の同好の士が指導書を片手に稽古する状況が続いた。
その後、昭和39年1月の西日本新聞記事により、吉里哲夫初段、平塚俊克弐段(いずれも当時)の長崎在住が判明し、消防局の田川義昭氏も加わって、合同稽古が行われるようになった。同年4月12日に、開祖植芝盛平翁の直弟子で九段の砂泊諴秀(万生館館長)を迎え、平塚氏の勤務先の長崎県立南高等学校と長崎消防局において、演武会を開催することとなった。
これを契機に、長崎市合氣道連盟が昭和40年6月1日に発足、また同月砂泊館長を師範として長崎道場が発足し、定期的な指導を仰ぐことになった。
発足後は道場も市消防局、長崎署、水上署と移り、昭和43年から現在の市立諏訪体育館で稽古を続けることになり当道場は現在に至っている。
昭和44年から当長崎道場は、万生館合氣道の長崎における支部道場として、平成26年7月まで活動。砂泊諴秀先生ご逝去から3年8か月経過後、従来の万生館の組織を離れ、平成26年8月より名称も「陽聖館」合氣道と改め、活動している。
陽聖館合氣道マークの意義
中心は太陽の日の出、全体で陽聖館のYとSを形にしています。Yが三筋の光を現し三元、八つの星が八力を現しています。三元とは大自然の体の本質、剛・柔・流のことであります。
剛とは-鉱物-金、鉄、石など
柔とは-植物-草木など
流とは-動物-人、獣、魚、虫など
八力とは、大自然が動き活動する力のことであります。八つの力があると言われています。それは「動力、静力、解力、凝力、引力、弛力、合力、分力」です。同時に地球という星に生まれた人類、生命と合氣道の精神の「天の理法を体に移し」というのを現しています。星は長崎市のマークにも使われています。Sは合氣の道、人の道を現しています。
三筋の光の中に合氣道の型に欠かせない木剣のシルエットを現しています。それぞれの光の外観が諸刃の剣となっており、武道や人類の叡智も使いようによることを現し、万有愛護の大精神のもと前進していくことの大切さを現しています。
陽聖館合氣道 長崎道場 組織
長崎市体育協会加盟組織、日本合氣道普及連盟加盟組織
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陽聖館合氣道 長崎道場 運営組織
陽聖館館長兼長崎道場長 野口 敬史
1950年 (昭和25年) |
長崎市茂木町に生れる。 |
1973年 (昭和48年) |
万生館合氣道 長崎道場へ入門 ※館長は熊本在住の砂泊諴秀先生で、十代で合氣道の創始者である植芝盛平翁の内弟子となり、1961年(昭和36年)に植芝盛平翁から九段を允可され、九州師範長を任命された高弟。 |
1976年 (昭和51年) |
熊本の本部道場で毎月開催される有段者研修会に長崎から通い始め、ほとんど毎回出席し、砂泊諴秀先生の話を聞き、手を直接取らせてもらうことで、合氣道の素晴らしさを痛感する。 |
1994年 (平成6年) |
砂泊諴秀先生から、万生館合氣道七段を允可される。 |
2014年 (平成26年) |
砂泊諴秀先生ご逝去から3年8か月後に、従来の組織を離れ、先生が目標とされたものを独自で探求すべく、陽聖館合氣道を立ち上げ、館長として活動を始める。 |